人の作りしもの再び
2012-02-12


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人の作りしもの再び


今日は、夜と昼とが逆転してしまった。

今朝の作業について、お店のブログに投稿したのだが、コメントが消されてしまった。ちょっと詳しく書きすぎて、営業妨害でもしたのかと気になる。

あちらは、そのサービスを商売にしているので、その本家のページで内容をバラされては都合が悪いのかもしれない。もしそうだとしたら、私の不注意(いつものことだが)である。こんなときは、謝るに限る(スマソ、ってか?)。

そのバチが当たったのか、開発環境との接続が切れてしまった。ドライバの再読み込みにチャレンジしたのだが、結局うまくいかない。こんな時は、潔く撤退して再起を図るのが得策である(歳をとるとこういうところは長けてくる)。

いや、諦めが早いだけかも。

写真は、実機の側面を撮ってみた。いい作りである。操作性も悪くない。素材こそ白一色の樹脂製だが、クリック感もしっかりある。USBコネクターも保持性が良く、抜けたりすることもない。穴のところには、筐体にちゃんと盛り上がりが作りこんであって、強度を確保している。いい仕事だ。

コンピューターは、どこか人間と似ている。限られた物理的な制約の中で、内面を変化させて(ソフトの更新や追加?)、生き延びようとするのだ。

自ら子孫を残すことはないが、評判が良ければブランドとなり、同じ名を持った後継機種に恵まれることもあるだろう。

外界との繋がりは限られたデバイスしかないが、モニターやスピーカーから豊かな表現を伝えることができる。ブルートゥースもHDMIもカメラもないが、精一杯日本語を表示してくれている(フォントが課題ですが・・・)。

人の作りしものには、それを作った人の魂が込められていると信じている。それは、金銭や名誉といった現世利益ではなく、生きた明かしを残そうとする人の業のようなものだ。

このパラディンも、きっと良い作り手に恵まれたのだろう。縁あって私のところに貰われてきたが、大切に育てたいと思っている。
[アンドロイド]

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