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どこでもドア
ドラえもんの「ひみつ道具」のなかで、誰もが知っているアイテムである。
(どこでもドア)
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アイデアは、1954年のアイザック・アシモフの短編にもあるそうだ(「こんなにいい日なんだから」)。
トヨタが、ピンクのクラウンの色を決める際に、このドアの色をイメージしていたという。
(【トヨタ クラウン 新型発売】イメージ覆すピンクのクラウン登場…2013年冬に市販へ)
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「このピンクのクラウンは、新型ではこれまでのイメージを覆したいという豊田社長に、同社社員がCMモチーフとなっているドラえもんの「どこでもドア」カラーの外装色を提案したことで実現したもの。」とある。
浮沈子は、ハッとした。
どこでもドアというのは、移動そのものも楽しさや、運転する喜びを放棄して、移動するという行為を、ドアを開閉するという動作だけに矮小化するアイテムである。
「いくらアスリートとはいえ、ホイールの黒といい、この派手なピンクといい、大事なものを奪われた気がしてなりません・・・」と、記事の最後にあるように、かつて「いつかはクラウン」という至高の存在として宣伝されていた、高級感や、ブランド価値を、ことごとく捨て去ってしまった。
それでも、どこでもドアに象徴される「乗り心地の良さ」、「疲労が少ない」、「静かな車内」などの「クラウンらしさ」は健在なのだろう。
(【トヨタ クラウン 試乗】 14代目は歴代最大の進化を遂げたReBORNの象徴か?…青山尚暉)
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まあ、ドアの開閉感がショボイのは仕方ないか。
500Eオーナーとしては、殆んど全く興味が湧かないクルマではあるが、レクサスがある以上、最早、至高の存在ではない。
単に、マークXとLSの間の車種にすぎない。
コストを落として、それなりの満足を与え、10年乗ったらスクラップにしても惜しくないクルマだ(300万円台から買えます)。
500Eのように、コスト度外視で絶対の満足を与え、20年乗っても300万円かけてメンテナンスする価値があるクルマとは、存在する世界が違う。
もう、そんなクルマは、二度と出ないだろう。
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