隔離
2014-10-30


隔離


西アフリカ地域でエボラに対応した医療関係者の強制隔離が米国で話題になっている。

米国だから、ということもあるだろう(我が国では、ちょっと有り得ないかも)。

(コラム:エボラ医療従事者の強制隔離に見る「ご都合主義」)
[URL]

(国連総長、エボラ治療従事者の強制隔離を非難)
[URL]

この問題は、ある意味ではレベル4施設の話と良く似ている。

(レベル4)
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どんなに科学的な話をして説得しようとしても、住民がそれを納得できなければ問題は解決しない。

それを、アホだとかダブルスタンダードだとかいうのはお門違いだろう。

「だが、米国でエボラ患者を治療する医師らが強制隔離されることはない。」

わからんぞお?。

「では、米国内で初めてエボラ熱と診断されたリベリア人のトーマス・エリック・ダンカンさんの治療にあたり、自身も感染した看護師ニーナ・ファムさんの治療チームの一員だった米国立アレルギー・感染症研究所 (NIAID)のファウシ所長を隔離すべきなのか。」

浮沈子は、その通りだと答える。

彼らが感染しなかったという保障は無い(今後も同じだ)。

しかも、それは、科学的な事実であって、知識と経験があれば感染しないというのは事実と反する(だって、現に西アフリカ地域で感染した、先進国の医療従事者は大勢いるし)。

医療従事者にもピンからキリまでいるというのは常識だし、誰がそうかは一般人には区別できない。

感染症専門の医療機関のスタッフだから絶対にミスを犯さないかといえば、そんなことはあり得ない。

有効な治療法が無く、現地では医療従事者の犠牲者が何百人も出ている中で、医療従事者だから信頼せよというのは無理だ。

浮沈子は、この問題は非常にデリケートな話であって、杓子定規に取り扱うことはできないと考えている。

そのリスクを負う人々が決めるしかない。

その前提となるのは、人間はミスを犯すということ、その影響は今回のエボラの流行についていえば、決して小さくないということだ。

そして、3週間の隔離というのが、非人道的かどうかは、それに対する対応方法次第だということだ。

感染国でボランティアを行うということは、それらの全てを承知で行うことであって、ボランティアがいなくなるから対応を変えるというのは逆ではないか。

国連事務総長やオバマは、英雄を必要としている立場だということも忘れるわけにはいかない。

我々は、ボランティアが感染国に行って、医療行為をしなければならないような対応を続けてきたというツケを、払わされているのだ。

国家が責任を持って組織し、派遣し、潜伏期間を含めて管理する体制がないままに、徒手空拳で致死性の高い感染症の対応をするなどということ自体が異常なのだということを、まず肝に銘じるべきだろう。

医療スタッフの感染管理が出来ていないボランティア団体が非難されるのは、当然のことだ。

彼らが自分達でコントロールできないから、誰かが行わなければならないということの、どこが問題なのか。

そもそも、個人防御策でヘマをした医療スタッフが、他の疾病と区別がつきにくいエボラの初期症状が出た時に、ヘマをしないで完璧に対応できるとなぜいえるのか。

医療従事者が完璧だという前提に立っているから起こる、もう一つのご都合主義だ。

ただし、身勝手にも感染国に行ってウイルスをもらってきちゃったかも知れないボランティアを、だから囚人扱いしてもいいというわけではない。

納得できる扱いをすることは最低条件だろう。


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[ノンセクション]

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