ニイタカヤマノボレ
(真珠湾攻撃:ニイタカヤマノボレ)
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「12月2日17時30分、大本営より機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」の暗号電文が発信された」(記事によっては、「ニヒタカヤマノボレ」?)
「ニイタカヤマ(新高山)は当時日本領であった台湾の山の名(現・玉山)で当時の日本の最高峰」
(玉山 (台湾))
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「標高は3,952mと台湾で最も標高が高い。」
まあ、日米開戦については、米国の挑発に引っかかったとか、諸説あるが、最初にぶっ放したのが大日本帝国であることについては異論がない。
外交的に、宣戦布告が後出しになったことを問題視する向きもあるが、奇襲攻撃をかける関係上、当初予定通り通告していたとしても、時間的猶予が30分しかなかったことを考えると、どっちにしても同じだったような気がする。
戦争は始まり、長い長い日々の中で、多くの命が奪われ、近代兵器が損耗し、膨大な資産が失われる。
こういうプロセスを経なければ、人類の歴史が回らないというのは、如何にアホかということになるが、今日、21世紀初頭になっても、そのプロセスは続いている。
74年前の今日(日本時間)、日米は開戦した。
浮沈子は、影も形もない。
歴史の中の日々であり、大昔の話だ。
文字や写真や映像で見ることはあっても、生身の体験としては皆無である。
我が国が、戦後、平和政策(自分の国だけが平和ならいい!?)を採ってきたこともあり、多くの国民は戦争を体験せずに済んできた。
それは、素晴らしいことだし、その結果を享受できる我々は幸せである。
「百年兵を養うは、ただ平和を護るためである。もしこの命令を受けて帰れないと思う指揮官があるなら、ただいまから出勤を禁ずる。即刻辞表を出せ」
まあ、言ったか言わなかったかはともかく、ある意味で、一番戦争をしたくないのは軍人さんだろう。
ぶっ放さずに済めば、養ってもらえるだけだ・・・。
まあいい。
江戸時代の鎖国を経て、明治維新を迎え、我が国は拡張政策を採った。
まあ、秀吉の時代から朝鮮出兵とかしてたけどな。
連戦連勝、負け知らず。
武田の軍師、山本勘助の話を物語にした風林火山のなかに、高坂(こうさか)という武将が出てくる。
(高坂昌信)
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「戦功により、信玄から信濃の名族・香坂(高坂)氏の名跡継承を許されて香坂姓を称した。」
実話かどうかは知らないが、川中島(たぶん、第四次)の決戦を前に、勘助と酒を酌み交わす場面がある。
原本が手元にないので、正確ではないが、浮沈子の記憶では、高坂はこの戦いに負けると主張するのである。
武田軍は、勘助の優れた戦略、戦術によって、連戦連勝していた。
苦しい戦いに慣れていない。
戦力拮抗する戦いでは、苦戦が予想される。
だから、負けるというわけである。
(『甲陽軍鑑』等における合戦の経過)
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まあ、どっちが勝ったとか負けたということはなかったが、多くの兵が命を落としたことは間違いない。
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