〓ニューラリンク:チェスOK
2024-03-21


しかし、問題は入出力系とか、脳神経とのやり取りをどうするかというインターフェースではない気がする。

思考そのものや、記憶(外部記憶の取り込み)の扱いの問題だ。

つまり、リンクで繋がった外部記憶を、脳がどう認識するかとか、AIの支援を受けた脳が、どういう思考をするかという問題だ。

次々とアイデアがひらめいたり、思いもよらない解決方法が浮かんだり、急に物覚えが良くなったような気になるかどうかだな。

で、ヘルメットを取ると、途端に頭がぼーっとしたり(思考力の低下)、さっきまで覚えていたと思ったことを忘れてしまったり(外部メモリーとの接続の遮断)、目がかすんだり(視覚神経へのセンサーからの入力遮断)ということになるわけだ。

そういう、シームレスな「脳とコンピューターとの融合」を果たせるのかどうか。

我々は、既にインターネットというツールを使って、疑似的な思考拡張や外部記憶の参照を実現している。

気象衛星の画像を見るということは、バーズビューどころかサテライトビューを得ていることになるわけだからな。

しかし、それはあくまで疑似的なもので、脳が見ているのはモニターの画面だけだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

そういう感覚ではなく、「自覚的に見る」感覚を得られるかどうかが問題だ。

たとえば、画像をズームする時に、コントロールキーを押しながらホイールをグリグリするのではなく、寄りたいと思うだけで寄れるかどうか。

しかも、デバイスをシームレスに切り替えながら、それが可能なら顕微鏡的細部まで寄れるかどうか。

思考についても、既知の概念と未知の概念を連続的につなげて、動的に扱えるかどうかといったことなわけだ。

多言語の理解や表現も同じだな。

ブログ書いてて、同音異義語を間違えるなどというのは言語道断だろう(それって、誰?)。

まあ、AI以前の話だ。

そういう、認識のハードプロブレムをどう克服するのか。

「光あれ」

「光があった」

まるで、創世記のような話だが、少なくとも仮想世界の中では、そういう風に物事が動かなくてはならない。

そういうシームレスな思考と感覚のベースがあって、AIと脳との融合という真の課題に取り組むことが可能となる。

で、相変わらず、ヘルメットを脱ぐと、ただの人になっちまうわけだ。

シンデレラの魔法は解ける。

馬車はカボチャに戻る・・・。

まあいい。

SFとかだと、そういう拡張体験をした後は、急激に歳をとったり、体力が衰えたりするわけだが、もちろん、本人の資源はほとんど使っていないわけだから(そうなのかあ?)、多少腹が減ったりはするだろうが、大した負担はない。

自動車の運転と似ている。

乗っている車が時速100kmで走っていても、クルーズコントロールを利かせていれば、アクセルを踏むこともないしな。

本人はクッションの効いた椅子に座って、ハンドルに軽く手を添えているだけだ。

外部の資源(ガソリンとか)が鬼のように消費されていたとしても、それは本人の負担にはならない。

しかし、ニューラリンクの世界は、自動車の運転とは異なる。

そこに、物理的な限界は存在しない。

ああ、マトリックスに近いかもな。

異なる点があるとすれば、あの中ではマトリックスに接続していると仮想世界からのフィードバックを受けるという話になっていたけど、現実の仮想世界(?)では、そういう心配はない(未確認)。

逆流防止弁のような仕掛けで、フィードバックを切っておくだけでいい。

本人の生身の記憶に残って、蓄積すると精神に障害を起こしたりする懸念があれば、その記憶自体を外部化して、参照不能にするという手もある(んなこと、できんのかあ?)。


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