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今日は何の日:AIブログの日:想定内か
まずはジェミニから行くか・・・。
「六四天安門事件について、400文字程度のブログ記事を書いてください。」
「天安門事件から36年:記憶の継承
1989年6月4日、中国の北京で天安門事件が発生しました。民主化を求める学生や市民の運動に対し、中国政府が武力を行使し、多数の死傷者を出した悲劇です。あれから36年が経ちましたが、中国国内ではこの事件に関する情報が厳しく統制され、公に語られることはほとんどありません。
しかし、歴史の真実は決して消えることはありません。私たちは、あの時何が起こったのかを記憶し、次の世代へと伝えていく責任があります。表現の自由、人権の尊重といった普遍的な価値が、いかに重要であるかを改めて考えさせられます。
この事件は、単なる過去の出来事ではなく、現在そして未来の国際社会においても深く影響を与え続けています。私たちは、犠牲者への追悼とともに、真実を求める声に耳を傾け続けるべきです。」
無駄だと分かっていても、ディープシークにも聞いてみよう・・・。
「こんにちは。今のところこの質問には答えられません。話題を変えましょう。」(中国語からの自動翻訳)
まあ、そうだろうな。
(天安門事件から36年 政府の徹底した言論統制で知らない若者も)
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「「天安門事件」から4日で36年です。中国政府は徹底した言論統制を続けていて中国の若い世代では事件を知らない人も多くなっています。」
「中国政府は当時の学生らの動きを「動乱」だと結論づけて対応は正しかったとする立場を続けています。」
正しい対応をしたというなら、別に歴史から抹殺するようなことをしなくてもいいような気もするんだがな。
毎度、引用して恐縮だが、今年も登場してもらおう・・・。
(崔杼:崔杼弑君)
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「太史が『崔杼、其の君を弑す』と事実を史書に書いたので、崔杼はこれを殺した。後をついだ太史の弟も同じことを書いたので、二人目も殺された。しかし彼らの弟はまた同じことを書き、とうとうこれを舎(ゆる)した。太史兄弟が殺されたことを聞いた別の史官は『崔杼其の君を弑す』と書いた竹簡を持って駆けつけたが、すでに事実が記録されたと聞いて帰った」
「崔杼と太史たちの故事は中国人が歴史を記すという行為にかける執念を表す例としてしばしば引き合いに出され、(中略)崔杼は単なる逆臣とされるにとどまらず、一層悪名が強調され後々まで語られることになった。」
まあ、どうでもいいんですが。
浮沈子は、以前は憤りを持ってこの日の記事を書いていたけど、最近はそんな気も失せ、淡々とその年の状況を綴るだけになった。
ジェミニは、「表現の自由、人権の尊重といった普遍的」と言うが、ここ数年の状況を見るとそれも怪しい・・・。
奇妙な脱力感と共に、6月4日を迎えている。
世間では、長嶋の訃報の方が大きく取り上げられ、「天安門事件」を扱った記事は少ない。
NHKの記事は、現在の中国での扱いに焦点を当てているが、そしてニュース媒体としてはそれが当然なんだろうが、浮沈子的には不満足だ。
もちろん、他国の状況(しかも、過去の事案)を報じる中では限界があるんだろうが、なぜ36年経った今でも中国当局が事件を封印したがっているのかを掘り下げて欲しかったな。
(天安門事件36年、抗議集会で価値観共有 対中制裁解除率先した日本「モンスター作った」)
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